横浜地方裁判所横須賀支部 昭和38年(ワ)40号 判決 1966年4月28日
原告 須田賢二
被告 国
訴訟代理人 小林定人 外三名
主文
被告は原告に対し金二〇〇円およびこれに対する昭和三六年六月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、争いのない事実
請求原因第一項の事実(本件基本労務契約の内容ならびに原、被告の地位)、同第二項の事実(右基本労務契約細目書IID節および同細目書、附表II別表III の旅費に関する各規定の内容しならびに同第三項中、原告が米軍の命令に従い昭和三六年四月一四日、一七日の両日、横須賀市内の勤務場所から、同市内の田浦マガジンまで旅行したこと、右旅行は基本労務契約細目書IID節31(1) に該当する営繕工事に従事するための八時間以上の旅行であるところ、同細目書II附表II別表III (b)によれば、このような旅行に対する日額旅費は一回あたり一〇〇円と定められていて、右二回の合計金額が金二〇〇円であることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、被告はそこで、たとえ原告が前記のような旅行をしたとしても、これによつて直ちに具体的な一定額の旅費請求権が発生するものではなく、被告側で原告に対し旅費の支給を決定した場合にはじめて原告の具体的な権利が発生するものであるところ、本件では被告はいまだ原告に対し、右の支給決定をなしておらず、むしろこれを支給しないこととして、その旨原告に通知したほどであるから、原告の本件請求権はいまだ発生していないものというべきであると主張する。
しかしながら、前記原、被告間の雇用契約の内容となつた基本労務契約細目書IID節のいわゆる旅費規定によれば、まずその第一項に「米軍側の要求に基づいて行われた旅行に対しては旅費を支給する」との基本的な規定があり、これをうけて同細目書には、旅行の種類、態様に応じて一定の旅費額が定められていて、たとえば、労務者が測量、調査、検査、土木ないし営繕工事に従事するため、しばしば旅行する場合で、その行程が八キロメートル以上一六キロメートル未満、または所要時間にして五時間以上八時間未満であれば旅費は七〇円、もし行程が一六キロメートル以上であるか所要時間が八時間以上であるならば一〇〇円とする(細目書IID節31、附表II、別表III 1、)との規定がある。また成立に争いない乙第二号証(細目書)によれば、鉄道賃、船賃、車賃等の運賃や日当はそれぞれ別表に掲げる定額を支給するとの規定(細目書IID節3以下)が認められるのである。しかも証人水野忠、同清宮清司の各証言と弁論の全趣旨とを総合すれば、駐留軍労務者が日額旅費を請求する手続としては、労務者は、米軍から旅行命令があると、ホアマンから右労務者の氏名、バツヂ番号、作業内容が記入してある作業カードを受取り、これを担当係員に提示して作業の開始及び終了の時間等の記入を受け、これを再びホアマンに返還するのみで、あとは所轄の渉外労務管理事務所員が一括して旅費請求の手続をとつてくれ、労務者の方で、その他に個々の旅行中に要した実費額の証拠資料等をとくに提出することなく、細目書に定める定額の旅費支給を受けていた事実が認められる。これによれば、本件細目書の旅費規定中、すくなくとも定額の旅費を定める旅費規定(たとえば日額旅費の規定)の趣旨は、駐留軍労務者の旅費計算上の頬雑さを避け、適正かつ迅速な旅費の支給を企図し、旅行の種類、態様に応じ、ひとまず標準的な実費額を基礎にして定額の旅費を定め、もしその規定に該当するような態様の旅行がなされれば、これに対応して掲げられている定額旅費を当然支給することとしたもの、つまり米軍の旅行命令にもとづく旅行の終了という事実があれば、実費を要したか否かの審査や、雇用主側の支給決定等をまたず、その旅行に対応する定額の具体的旅費請求権が当然に発生する旨を定めたものと解するのが相当である。そうすると、原告の本件旅行はいずれも一回あたり一〇〇円、この合計二〇〇円の日額旅費に相当する旅行であつたことは前記のとおりであるから、原告は、右旅行の終了時において被告に対し、金二〇〇円の旅費請求権を有するに至つたものというべく、この請求権の不発生を主張する被告の抗弁はこの点で失当であるといわなければならない。
三、次に被告は、かりに原告の本件旅費請求権が旅行の終了により発生したとしても、被告の減額調整によつて消滅したと主張するので、これについて判断する。まず右減額調整権の根拠規定として基本労務契約細目書IID節30(通則)の(3) に「従業員が米軍側から提供された交通機関、宿泊施設等を利用することにより、またはその他適当な理由により、本節に定めるところにより支給される旅費が、その旅行に必要な実費額に比して不当に多額と認められる場合には、日本国側はその実費額をこえると認められる旅費を支給しないことができるものとする。」との趣旨の規定があることは当事者間に争いがない。右事実と前記認定事実によれば、本件日額旅費の規定も右調整規定と同一の節中に定められており、規定の形式上は日額旅費も調整規定の適用範囲内にあること明らかである。
原告は、日額旅費はその性質上減額調整できないものであると主張するが、この主張は次に述べる理由によつて失当である。すなわち、旅費は本来、俸給が勤務に対する報酬であるのと異なり、一般に旅行者が旅行中に要した費用にあてるため支給されるものでその当然の帰結としていわゆる実費支給ないし実費弁償を基本的な建て前とするものである。前述のいわゆる定額支給制も、実は旅費計算上の煩雑さを避け、迅速な旅費支給をはかるための便宜的な方策としてとられた制度であつて、多種多様な個々の旅行について所要実費額と定額旅費とに著しい差異が生じた場合には、当然本来の実費弁償の建て前から右定額を調整する必要が生ずるわけである。本件細目書の前記調整規定も、この趣旨にそつて定められたものと解され、これによれば、右細目書中本件調整規定と同一の節内にあるすべての旅費は、特別の制限規定が存しないかぎり、これを調整しうるものと解すべきである。なるほど本件日額旅費は前述のとおり細目書IID節3中の他の旅費種目である運賃、日当、宿泊料等と異なり、これらに替えて支給されるもので、いわば右各種の旅費を複合して一定額で支給されるものであるから、他の旅費種目とはある程度異なる内容、性質のものであるといえようが、しかし前記認定事実によれば、本件日額旅費の定額は、前記運賃日当等と同様に、距離や時間に応じ一応予想される実費額を基礎にしてこれを定めていることが認められ、同節中の他の旅費種目と本質的な差異を認めることはできない。このことは、たとえば日額旅費の支給の対象となるような旅行につき旅行者が雇用主から旅行中の交通機関、食事、被服等の一切を提供され、これがため旅行中の所要実費額と定額とに相当の差が生じたような場合、たとえ日額旅費といえどもこの定額を減額調整しうると解するのが前記実費弁償の建て前にそうものと考えられることからも明らかである。
また原告主張の昭和三二年一〇月五日付調達庁労務部長より関係都道府県知事宛「新基本労務契約の解釈および運用について」と題する通達(調労発第一三五五号)に、労務管理機関が旅費(日額旅費を除く)を調整する場合には、<ア>軍側より交通機関が提供された場合-運賃は支給しない、との規定があることは当事者間に争いがない。しかし、同じく調達庁の駐留軍労務者日額旅費支給要領第八条には日額旅費を調整できることを前提としての調整手続に関する規定がある事実(この点は争いがない)をあわせ考えれば、前記通達は一般に日額旅費を減額調整しえないとした趣旨とは解されない。
結局雇用主国は、基本労務契約細目書IID節30(3) の規定にもとずき、本件日額旅費についても、当該旅行中の必要実費額と同細目書の定額との差額を明らかにし、それが不当に多額であることを証してこの部分の減額調整をなしうるものというべく、右調整権の行使により、旅行者の定額旅費請求権はその限度において減縮消滅するものと解するのが相当である。
四 なお原告は、被告のなした本件日額旅費の調整は駐留軍労務者日額旅費支給要領第八条の手続を経由しない違法があると主張し、なるほど右要領第八条に日額旅費を調整する場合は、調達庁労務部長の承認を要するとの趣旨の規定があり、被告が右承認手続を経なかつたことは当事者間に争いがないけれども、<証拠省略>によれば、右規定は単に行政機関内部における事務手続を定めたもので、この手続は駐留軍労務者から関係都道府県の労務管理事務所を経由して旅費請求がなされた場合の手続であることが認められ、さらに原告は本件旅費を本訴においてはじめて請求するものであるとの事実(この点も争いがない)を考え合わせれば被告が右承認手続を経ることなく本訴口頭弁論期日に右調整の意思表示をしたとしても、その手続になんら違法はないと解される。
五 そこで、被告のなした本件減額調整の意思表示の効力について検討すると、原告が本件二回の旅行とも、その往復に米軍の提供した自動車を利用したことは、当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、往復に軍の自動車を利用すると、本件旅行先である田浦マガジンまでの運賃は全く不要であることが認められる。しかしながら、原告の本件二回の旅行ともこれに必要な実費額が全くなく零であつたとの被告主張事実については、これを証するに足りる証拠はない。もつとも証人清宮清司の証言によれば、同人は原告代理人の問に対し、「その時の旅行(目的地長井)も軍の車を使用しているのですか。」「そうです。」「実費は全然かかつていないのですか。」「かかつていません。」「実費がかからない点では長井も田浦も同じですか。」「同じです。」と答えており、これによれば原告の本件田浦マガジンへの旅行についても実費が全然かかつていないものと推認しうるかのようである。しかしながら本件二回の旅行の日額旅費一〇〇円の中には運賃、日当等に相当する費用が含まれていることは前記のとおりであり、しかもここにいう日当とは、旅行中の昼食代その他の諸雑費を賄うための旅費であつて、この諸雑費には、目的地の同一市町村内を巡回するための交通費や、通常運賃が最も経済的な通常の経路および方法によつて計算されるため、旅行者が現場巡回する場合時間的制約上、乗り継ぎ等の交通事情のゆえに最も経済的な通常の経路を経由できなかつたための運賃上の損失、および旅行中の履物等の修繕費等が含まれると解されるところ、前記清宮証人の供述の趣旨も、原告の本件二回の旅行と同種の田浦マガジンまでの旅行につき、昼食代その他の雑費が全くかからなかつた、とまでも述べているのではなく、その問答の経過からすると、単に往復の運賃実費はかからなかつたとの意味で答えているのに過ぎないと解されるから、これをもつて前記被告主張事実の立証に供することはできない。
なお、日額旅費一回あたり一〇〇円中、本件では目的地までの往復運賃はかからなかつたのであるから、この限度での一部の減額調整は有効かということについて考えるにこの点についても次の理由によつてこれを認めることができない。けだし本件二回の旅行は細目書II附表II別表III の1(在勤地内の旅行)のうち「行程一六キロメートル以上または所要時間八時間以上の旅行に対し定額一〇〇円とする」との規定中いずれも行程に関係のない所要時間八時間以上の旅行に該当するのであるから、往復に軍の車輌を利用して運賃がかからなかつたとしても直ちにこれに相当する額だけの減額を認めるというわけにはいかないからである。
要は、被告が本件在勤地内旅行の日額旅費を減額調整する場合には、前述のとおり被告において右定額と必要実費額との差額を明らかにし、かつそれが不当に多額であることを証しなければならないところ、本件ではこの点の立証がないから、被告の右抗弁は結局採用できない。
六、そうすると、被告は原告に対し合計金二〇〇円の日額旅費を支払う義務があるというべく、また本件訴状送達の翌日が昭和三六年六月二二日であることは本件記録上明白であるから、金二〇〇円とこれに対する右同日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 毛利恒夫 石渡満子 河野信夫)